「最近の若い者は」という文句について。

エジプトの昔から言われ続けている言葉に、「最近の若い者は〜」という一言がある。
「最近の若い者は○○がなってない」というような一文だ。そして大抵その後に、「自分たちの時代にはああだった、こうだった」という講釈が始まる、というのが通例だと思う。

自分の若い頃を云々言って若者を批判しているけれども、でもこの若者たち、社会を作り出したのは、結局自分たち(文句を言う人々)ではないのか。
そのような若者を作り出したのは、その親であり、その親を作り出したのは、そのまた親である老人世代だ。老人世代が親の世代に対してしっかりと教育してこなかったから、また、親の世代が若者世代に対してしっかりと教育してこなかったから、所謂「なってない若者」が生まれたのではないだろうか。

言い過ぎな感はあるけれども、結局、「最近の若者は○○がなってない」という一言は、結局自分たち(世代)の責任を放棄してしまった一言なのだと思う。自分たち(世代)がそれら若者を作り出したのに、作り出したという事実、責任を忘れ去り、若者に対して「なってない」と批判をする。
これはただの責任転嫁ではないだろうか。直接的、または間接的に若者を教育した、若者を作り出した自分の責任を忘れ、「悪いのは全て若者だ」というふうに若者に責任を転嫁しているように思う。


なんてことを思ったので書いてみた。
まだまだ論理が飛躍してたり、上手く言い表せてないところが色々あるかもしれない。
結局何が言いたいか、も上手く書けてないし、書いてるうちに自分でも何を言いたかったか、よく分からなくなってしまった。
色々書いていくうちに整理された文章が書けるようになるのだろうか。